仮宿にて(最終日)

今までいくつぐらいの人生の分かれ道があったのかなんて、思い返してみてもわからないけれど、これからする決断も、何十年か経ったら思い出せなくなってしまうのかなあと思うと、いま少し苦しんでいるこの気持ちがとって付けたもののような気がしてきます。

わたしは、誰かに影響を受けることと、わたしの内側からわいてくる本心との区別をしっかりとつけるべきなのでしょうか。
はたして、ポジティブなデカデントは存在するのでしょうか。


希望的観測と絶望的観測(もしそんな言葉があるとするならば)が、どちらも軽い次元を漂っていて、わたしという人間の薄っぺらさを際立てています。もうハタチ越えちゃったから、人格形成し直せない、コマッタ、どうしようもない。

ともかくも、明日になったら、いま書いているこの文章も、とって付けたようなものになってしまうだろうなということは容易に想像がつく。せっかく生かされているから、もっと頑張らないといけないな、とも思うのです。それも本心です。





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