細くて金色の繊細なモノもの
べネチアには鳥がたくさんいた。
四日いたうちの二日は快晴で、
後の二日はとても濃い霧だった。
日本語ではなんでも曖昧に繊細に表現することができるのに、なんで外国語にはいつもひとつかふたつしか可能性が無いのだろう。
いつもは「ガンバロウ」と、思えるはずの展覧会や展示に今回は余地の無さ、天井が詰まっているような感覚になった。
展覧会をひらく意味ってなんだろう、あれだけ膨大な数のコンセプトと頭脳と苦悩とゴミ屑を目の当たりにしてどうでもよくなった。
わたしは映像をつくってなにがしたい。のか。
アートが、自己を顕示して認証してもらう為のツールになったのは何世紀からで、
社会的な文脈を求められるようになったのは何世紀からですか?
そしてそれはいつまでつづきますか?
Ich will schon von hier weg gehen. Alles Scheiße.
Du liebst nicht mich sondern nur dich.
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